マイケル・リンゼイ=ホッグ監督、ザ・ビートルズの魅力を語る「ビートルズが世界を変えた」<ザ・ビートルズ: Let It Be>
「僕が彼らと会った頃の彼らは、ある意味、とても洗練されていました」
――あなたは彼らを間近で見ていましたが、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が一緒になったとき、何か特別なものを感じましたか?他のバンドにはない特別な魅力があったと思いますか?
僕は1966年に彼らと仕事を始めたんですが、彼らは1958年か59年によく(ドイツの)ハンブルクに行って、赤線地帯で働きながら朝の5時まで演奏していた頃から「ビートルズ」だったんです。だから、僕が彼らと会った頃の彼らは、ある意味、とても洗練されていました。彼らは自分たちが何者なのか知っていたし、どうすればいいのかもわかっていました。
一方で、僕は彼らをすぐに知ることはできませんでした。彼らと交流するようになって、「ハイ、ポール、今日の調子はどう?」と言うわけですが、彼らはなかなか自分自身を100%見せませんでした。なぜなら、彼らの人生はとてもプレッシャーのあるものだったからです。
それから「ペイパーバック・ライター」と「レイン」のビデオを撮り、「ヘイ・ジュード」と「レボリューション」のビデオを撮った後、彼らは僕をより信頼するようになっていきました。というのも、彼らは必ずしも(周囲の人々を)信頼していたわけではなかったんです。
なぜなら、初期の頃は誰もが“ビートルズの一部”を欲しがっていたからです。それは、相手にはちょっとしたお金になることだったかもしれないし、あるいは、ただ近くにいたり、触れたり、彼らの傍にいるだけだったかもしれませんが、(そうしたことの連続で)彼らは時々(近づいてくる人間を)疑っていました。
しばらくして3~4回一緒に仕事をした後、彼らが僕に「レット・イット・ビー」を依頼した理由の一部は、僕を信頼していたからだと思います。そして彼らはまた、僕が彼らの望むことを完全に理解していて、僕が(その点を)考えずに提案することはないということを信頼していました。
そして僕は、「彼らの人生のこの時期に、彼らにとってベストなことは何か」を考えていました。そして僕が提案すると、彼らは「イエス、ノー、多分、何でもいいよ」と言うんです。でも、それは部分的には、信頼の問題でもあったと思います。
映画のタイトルを「Let It Be」に決めた理由
――ポールが初めて「レット・イット・ビー」を歌い、演奏した時はどう感じましたか?この曲が不朽の名曲になるとすぐにわかりましたか?
そうだね。多分ね。僕たちはある時点では、(この作品を)「レット・イット・ビー」か「ゲット・バック」と呼ぶつもりでした。そして、「レット・イット・ビー」と呼ぶことに決めたんです。なぜなら、それはとても美しい曲でしたから。
「Mother Mary comes to me…(母親のメアリーが私のところにやってきて)」という彼にとってとても大切な母親のことを歌っているんです。イエスと言わないといけませんね。もしあなたがあの部屋にいて、僕と同じように初めてそれを聴いたとしたら、「クラシックだ。名曲だ」となっていたと思います。
※「Mother Mary comes to me」の部分は、よくある歌詞の和訳では「マリア様が降りてきて」となっている。しかし、ポールの母親の名前はメアリーで、マイケルはポールと親しかったため、ポールが亡くなった母親について歌っていると聞いていたと思われる。おそらく、ポールは自分の母親と聖母マリアの両方の意味でMother Maryと歌っていた。
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